殺す時、癒やす時。

-上原正稔はなぜ琉球新報を訴えたか-

 一九六〇年代、ターン・ターン・ターンというロック音楽が一世を風靡した。その詩は旧約聖書の伝道の書の一節を使っていた。「天の下、神の創り給うたこと全てに季節があり、時がある。生まれる時、死ぬ時。種を植える時、実を収穫する時。殺す時、癒やす時。・・・」と始まっていた。その頃は「殺す時、癒やす時」という表現が奇異に思えたことを想い出す。人を殺して、癒されるのか、というのが率直な想いだった。
 あれから半世紀近い年月が経ち、今、梅澤裕氏と故赤松嘉次氏の弟秀一氏が「二人の命令で慶良間の集団自決が起きた」と決めつけている大江健三郎氏と岩波書店を名誉毀損罪で訴え、去る四月下旬最高裁の上告棄却で一応結着がつけられた。つまり「二人が“集団自決”を命令したという真実性の証明はないが、それが事実でないことが明白だとまでは言えず、出版当時の昭和四十年代には真実だと信じる相当な理由があった」という、実にあいまいな情けない結論で収まった。琉球新報も沖縄タイムスも「勝った、勝った」と騒ぎ立てているが、その理由は彼ら自身もこの問題に深く関わっているからだ。「赤松、梅澤は集団自決を命令した極悪人だ」と初めて発表したのは沖縄タイムスのロングセラー「鉄の暴風」であるし、琉球新報はいつもアッと驚く真実を発表しているドキュメンタリー作家上原正稔から集団自決に関わる著述で憲法上の表現の自由侵害と著作権侵害の罪で訴えられているからだ。上原正稔は既に1996年6月に琉球新報紙上で『沖縄戦ショウダウン』を発表し、その中で「赤松嘉次さん梅澤裕さんを集団自決を命令した極悪人」と書いた沖縄タイムスとそれを信じた沖縄の人々の罪は限りなく重い。我々は「二人にきちんと謝罪すべきだ」と糾弾しているのだ。その時は上原を非難する声は新報社にも皆無で、多くの人々は「よくぞ書いてくれた」と賞賛してくれたものだ。上原は2009年5月号の『うらそえ文藝』で前記裁判の原告弁護団は『鉄の暴風』を発行した沖縄タイムスを訴えるべきだった、と指摘したが、タイムス、新報とも『うらそえ文藝』を完全に黙殺した。上原は2007年6月連載中の「パンドラの箱を開ける時」の第2話「慶良間で何が起きたのか」でアメリカ軍の資料、アメリカ兵の目撃証言、そして海上挺進第三戦隊の陣中日誌、座間味、渡嘉敷の事件の本質を知る証人、そして集団自決が皆無だった阿嘉島の野田隊長の証言などを基に四、五十回にわたって慶良間の集団自決の実相についてこれまでで最も詳細な物語を伝える予定にしていたが、新報編集部の不当な介入でその執筆を中断され、赤松、梅澤両氏の汚名を完全に晴らすことができなくなった。
 そこで去る一月三十一日、上原は琉球新報を憲法の表現の自由侵害と著作権侵害による損害賠償請求の訴訟を那覇地方裁判所に出したわけである。まさか上原が訴訟に出るとは夢にも思っていなかった(つまり、傲り高ぶっていた)新報幹部は“黙殺”という最も低俗愚劣な手段でこの問題に対処しようとしている。しかし、法廷に出された以上、この事件は遅かれ早かれ一般大衆の知る所となるのは目に見えている。しかも、上原が相手にしているのは琉球新報だけでなく、“反戦平和”を隠れみのに言いたい放題、やりたい放題を続けているマスコミとそれに媚びている文化人という名の偽善者たちだ、ということだ。
 上原が今、行なおうとしていることは実は無視できることではなく、沖縄の新聞史上、文化史上、空前絶後のことだ、と言ってよい。ひとりの人間が沖縄の全メディアの顔に泥を塗ろうとしているからだ。“一体マスコミは何をしているのか”と問い、しっかりしろ、とマスコミの尻を叩いているのだ。
 さて、本題に戻ろう。沖縄戦の中で多くの住民が“集団自殺”をした。“集団自殺”とはありとあらゆる手段で親が子供を殺し、子が親を殺し、住民同士が殺し合ったことを指すが、ここでは『鉄の暴風』が使った“集団自決”という言葉を使うことにしよう。今、沖縄の人々に問われるのは、軍の関与があったかもしれないという理由で赤松さんと梅澤さんを極悪人扱いのままにすることが許されるのか、ということだ。裁判の中でも明らかにするが、赤松さんと梅澤さんは集団自決を命令するどころか、止めようとしたのである。野田隊長の第二戦隊が駐留する阿嘉島では集団自決は全く発生していないことを指摘する者はいない。軍人のいない前島では集団自決は発生していないが、同じく軍人のいない屋嘉比島では住民の集団自決が発生していることを知る者はほとんどいない。軍人がいたから集団自決が発生したのではない。この集団自決問題には実は、戦後の援護法が深く関わっているのだ。詳細は裁判の中で明らかにされるだろうが、集団自決した者、つまり殺された者の遺族(殺した者)は戦後、今に至るまで莫大な援護金を取得しているが、そのためには軍命令があったと厚生省に嘘の報告をする必要があった。これを隠すために赤松、梅澤両氏に集団自決を命令したとする汚名を着せる必要があったのだ。この簡単な事実を無視して、つまり、臭いものにフタをして赤松、梅澤両氏を極悪人に仕立てて、援護金を取り続けている者に癒やし、すなわち救いはあるのだろうか。また、その事実を無視し続ける琉球新報、沖縄タイムスを始めとするマスコミは許されるだろうか。今、マスコミだけでなく、沖縄そのものの良心が問われている。
 この訴訟で原告上原正稔には何の利益があるだろうか。利益は一切ない。彼は社会の不正義を許せないのだ。最後に一言、付け加えるとすれば、彼は一フィート運動の生みの親であり、平和の礎の生みの親である、ということだ。しかし、今、一フィート運動は事実上崩壊し、平和の礎は無制限に刻銘を増やし、戦前の人口をはるかに増やさねばならない、というとんでもない事態を招いていることを指摘しておこう。この二つの運動は上原がいなければ生まれなかったし、そのデタラメな設立と運営は別の裁きの場で明らかにされるだろう。

2011年5月吉日
上原正稔 記

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